そのななじゅうきゅう

身近なひと

遠いひと

いつも顔を合わせるひと

疎遠になったひと

 

しょっちゅう会うからって適当になっていい訳じゃないし

 

なかなか会えないからって気負う必要もなし

 

″そのひと″とどう過ごしたいか

 

という気持ちがなにより大切で

 

″そのひと″との時間を

 

どういう時間にしたいかが大切で

 

でも、そんなこと考えていても

 

相手がこちらとどう過ごすことを目的としているか

 

によっていとも簡単に理想は夢想に近づいてしまう

 

だども

 

だからこそ

 

こちらの目的とあちらの目的が

 

ガチッと重なると

 

それはもう至福で

 

その至福回数が多いと

 

「そのひとと会えること」

=「そのひとの時間を分けてもらえること」

 

がすごく贅沢なものに感じられる訳ですね

 

贅沢は美味しいから欲しくなっちゃうし

 

食べ過ぎそうになるし

 

求めすぎそうになるし

 

そこらへんで手に入るほかのなにか

 

よりよっぽど気を使うのだけれど

 

その″贅沢なひと″が存在してくれてるだけで

 

自分の人生ハッピーな方だなって思える訳で

 

うん。

 

ただ贅沢なひとに会えば必ずいつだって贅沢に思えるかって言えばそうじゃないのも確か

 

自分が怠けていたり

自分がどこか後ろめたい気持ちがあったり

自分のエゴが出てきた暁には

 

はい、

 

贅沢な時間はどんどん離れて行きます

 

 

このひとにとっても

私にとってもいい時間にしたい

 

と願って、行動して

 

たまたま相手も同じように思ってくれていたら

 

はい

 

贅沢な時間になります

 

つまるところ

 

相手にも相手の都合があって

 

自分には自分の都合があって

 

余裕の有無にもムラがある

 

つまるところ、こちらが余裕をキープしていられれば

 

それ相応にあちらの余裕との合致する確率が上がるってもんで

 

 

おーけー。

 

人間余裕が大事。

 

 

余裕こそ、贅沢。

 

 

余裕を生む努力

 

ですね。